1月7・8日と、福島県いわき市に行って参りました!
オリーブ栽培で農業再生を、と活動されている、オリーブプロジェクトの木田さんのお手伝い。
以前からお世話になっている、小野さんに連れて行って頂きました。
数年前に、広野町の仮設住宅でコンサートをさせて頂きました。
もちろんそのことも嬉しく、貴重なことだったのですが、なにか、演奏ではないことで、継続的にできることや、お手伝いできることはないかなとずっと気になっておりました。
5年10ヶ月前の、東日本大震災。
私は個人的には東北にゆかりがあるわけではないのですが、あの出来事は私の中でとても大きなことで、ずっと心のどこかにひっかかり、気になっていました。
1日目は、オリーブ畑の水はけを良くするために使う竹を用意するため&竹やぶのケアのため、大量の竹を伐採。
なたやバールで枝打ちをしたりしました。
2日目は私は主にパクチーを収穫🌿
一人パクチー収穫祭👏
実は私はパクチー若干苦手というか、好んでは食べないのですが、木田さんのところのパクチーは香りがとても良くて、食べやすかったです♪
二日目の早朝、浪江町請戸地区や、双葉郡富岡町の方に連れていって頂きました。
請戸地区は、津波で破壊された家屋などが、未だそのままの状態で残っている地区。
刺激の強い写真かもしれませんが、見て頂きたいので載せます。
前回福島を訪れた時も、海沿いの瓦礫などを見ましたが、実際の破壊された家は、すごかったです。
目の前に現実として、そこにあるのだけれど、信じられないというか、他人事のような言い方になってしまい本意ではないですが、どこか現実ではないところに迷い込んだかのような。ここも自分の住んでいる日本のひとつの場所なのだということが不思議に感じるような。
その場所は、ひとけがなく、ひっそりと、息をとめたままそこにありました。
そして、福島第一原発の姿を見ました。
小野さんが震災の後にこの辺りに来た時は、福島第一原発の一帯だけ、霧がかかって見えなかったそうです。
何もなく広がる荒野、積み重ねられた瓦礫、ぽつぽつとある作業用のクレーン、大量に高く積み上げられた除染土、家の前に付けられた立ち入り禁止のシャッター。
折れ曲がった看板や、ぐねっと倒されたままのガードレール、1階がすっぽりなくなっている家、ぐちゃぐちゃに荒れた室内、破壊された窓から外に垂れ下がったままのカーテン。
残酷な景色と美しすぎる朝焼けとの対比が忘れられません。
富岡町では、津波が迫る中、住民に最後まで避難を呼びかけていたというパトカーを見ました。
ここは、日中家に戻ることはできるけれど、泊まることはできない という地区です。
パトカーは、慰霊碑とともに公園に置かれています。ここでは車を降りました。
土は除染してあるから大丈夫。枝や葉っぱは触らないほうがいいかもね。
という言葉に、急にリアリティがわいてきました。
双葉町、富岡町にいると、他の場所で人が普通に暮らしているということがとても不思議に感じるというか、同じ日本だと思えないというか、こういう場所が日本にあるのだということが、刺さり、(月並みな言い方ですが)このことを他の人にも知って欲しいと感じました。どのくらいのひとが想像することがあるのだろう。
また行きます。
和光さん、本当に貴重な体験をされましたね。
そして、貴女の飾らない言葉でその体験を伝えて頂いたことに感謝します。
身近な方から伺う言葉は、私の心にも刺さりました。
現地の状況を肌で感じ、何か出来ないかと活動されたなかでご覧になった朝焼けの美しさは、自然の不条理と共に、和光さんの心の反映であると感じました。
この投稿とその想いに敬意と感謝を捧げたいと思います。
坪西真一郎さま
コメントありがとうございます。お返事が遅くなってしまいました。
震災の3月、私は大学を卒業する頃だったのですが、その頃の自分の不安定さとも相まって、とても影響を受けました。
去年、この投稿のような体験をさせて頂き、おっしゃるとおり、大変貴重な体験となりました。
自戒も含めですが、なんだか皆んな、忘れてしまうから、少しでも現状を知ってもらいたいと思いました。
その残酷さと美しい朝焼けのギャップから生まれる、なんとも言えない感じは、忘れることができません。
それでも陽が昇る ということに、歯がゆさと希望を同時に感じました。
心のこもったお言葉を、ありがとうございます。
和光美苗